反論したくなる
「やめておいたほうがいいよっ!!」
言われれば言われるほど、「いや・・・いいところだってあるのよねぇ」と言いたくなる。
そんなことってないですか?
反対に、「あんないい人と別れちゃだめよっ!!」
言われれば言われるほど、「いや・・・みんなが思うほどいい人でもないのよねぇ」と言いたくもなる。
そんなこともあるのでは?
どうしてこうなっちゃうんでしょうね。
様々な角度から、心理を分析することができるのですが、今日は『私は正しい!』『私はちっぽけ』という角度からのお話しをお届けしたいと思います。
正しさにこだわってしまう
「やめておいたほうがいいよっ!!」
と友人など、あなたのことを大切に思ってくれている人から、そのように言われるということは、そのお相手は、あなたにとってあまり良い影響がない人だということかもしれませんよね。
でも、「そうだよね。やめておいたほうがいいよね」と素直に受け入れるということは、「私の目は節穴だった」ということを受け入れるということ。
あなたが選んだ人が、間違いだったということを受け入れるということになりますから、何だか嫌なんですよね。
そこでつい、「いや、あなたにはわからないと思うけれど、彼にはこんないいところがあって、あんな素晴らしいところがって、だから私が彼を選んだのは間違いではないのよ。私は正しいのよ」となって、自分の正しさを証明するために、「彼にだっていいこところがいっぱいあるのよね」となるわけです。
いや・・・本当に友人が気付かない部分に、素晴らしい部分がいっぱいあって、友人が見ている彼の姿が間違いならいいんですよ。
でも、だいたいの場合、あなたのことを大切に思ってくれている友人は、彼のことがよくわからなければ、そんなこと言わないはず。
そんなことを言うということは、だいたいの場合、友人のおっしゃる通りだったりするんですよね。
まっ、そのことは、心のどこかで自分でもわかっていたりもするのですが、そこが「正しさ」にこだわるあまり、受け入れられない。
友人が指摘する、彼の良くない部分に関しては、見て見ぬふりすることになります。
だって、直視しちゃうと、「あなたのいう通りです。私が間違っていました」ということになると感じるからです。
ここでのポイントは、友人は別にあなたが間違っていると言っているわけではないということ。
「その人と一緒にいると、幸せじゃないよ」と、あなたの幸せを思って言っているということなんですが、「正しさ」へのこだわりが強いと、「間違っていると言われている!」と感じて、反撃するかのようになってしまうんですよね。
私がちっぽけだとでも?
「あんないい人と別れちゃだめよっ!!」という場合は、『私はちっぽけではない!』ということを証明したいために、「いや・・・みんなが思うほどいい人でもないのよねぇ」と言いたくなるのです。
「いやいやあなた、私があの人と一緒じゃないと、一人前ではないとでも言いたいわけ?」と、お怒りモードがスイッチオンになる。
そんな風に思わなかったとしても、何だか自分が彼よりも格下のように思われているような、友だちよりも格下扱いされているような・・・・そんな気持ちになったりもします。
要するに、「私はちっぽけだと思われている!」と感じてしまう。
そこで、「あの人にもダメな部分ってあるのよね。私のほうが別れたくなることもあるのよ」なんてことを言いたくなる。
そう言うことで、私はちっぽけではないということを、証明しようとするわけです。
ここでのポイントは、友人はこの場合も、あなたの幸せを思って言っているだけであって、あなたのことをちっぽけだとは思っていないということ。
では、誰がそう思っているのか?
自分自身なんですよね。
自分で自分のことをちっぽけだと思っていると、誰かが発した言葉によって、「バカにされた」「格下扱いされた」と感じてしまうのです。
だから、「私はちっぽけではない!」ということを証明するために、彼のあまりよくない部分を探して、発表したりします。
でも、誰にだって欠点はあるわけですから、彼の欠点を探そうとすれば、探そうとするほど、彼が本当につまらない人、ダメな人のように思えてきてしまうという悲しいことになってしまいます。
人間というのは、注目したものが拡大されて見えるということがあります。
つまり、欠点に注目すれば、とんでもなく欠点だらけに見えてしまうということですね。
「正しさ」にこだわるのは、「私は間違っていない!」ということを主張するためです。
ということは、深層心理では「私は間違っている」という罪悪感をもっているということ。
「私はちっぽけ」ということが気になるということは、他ならぬ自分が自分をちっぽけだと無価値観をもっているということ。
どんな問題や悩みも、突き詰めていけば罪悪感か無価値観に行きつくと言われています。
罪悪感や無価値観が強いと、あなたのことを大切に思ってくれている人からの忠告に対して、このようなあまのじゃくな言動をとってしまうことがあるのです。