やりたいことは、やってみないとわからない。

実際にやってみて心が喜ぶ瞬間を感じる女性 心理学の基礎
実際に試してみてこそ、心が喜ぶ瞬間が見えてくる

実際にやってみないとね

できることと、やりたいことは違う。
やりたいことは、考えてもわからない。

料理をつくれるとしても、料理を作りたいかどうかは、わからないし、「私は、料理をつくりたいのだろうか?」といくら考えても、わからないと思うんですよね。

やりたいことなのかどうか?
そのことが、好きなのかどうか?

これに関しては、やってみないとわからない。

見ているだけの時は、「これ、好きだな~」「これ、やってみたいな~」と思っていたとしても、実際にやってみたところ、楽しくないのであれば、もしかしたらやりたいことではないのかもしれない。

例えば、先ほどの料理。

誰かが料理を作っている姿を見ていて、「いいな~、料理を作ってみたいな~」と思ったとします。
実際に、やってみた。
独学でもいいし、料理教室に通ってもいいし、ネット動画を見ながら作ってもいい。

とにもかくにも、料理をやってみた。

上手くできなかったかもしれないし、上手くできたかもしれない。

出来栄えは、やりたいことなのかどうかに関して言えば、あまり関係ないのかもしれません。

心が「これ、好き!」「これ、やりたい!」と喜びや、楽しさを感じるのであれば、出来栄えに関係なく、好きでしょうし、やりたいことなのではないかと思います。

上手くできなかったから、「これじゃないよね・・・」と思うのであれば、料理を作っている誰かの姿を見て、「こんな風にできれば、自分も認められるかも?」とか、「こんな風にできれば、楽しいのかも?」と、やりたいことは、認められることであり、楽しいと感じることだったのかもしれませんよね。

上手くできたけれど、「何だか楽しくなかったな・・・」と思うのであれば、料理は好きではないのかもしれないし、やりたいことではないのかもしれない。

心が喜んでいる?

好きなことや、やりたいことって、出来栄えや周りの反応に左右されないと、私は考えています。

いわゆる「心が喜ぶ」という状態なのかどうかが、重要なポイント。

だって、「あの人は、やめておきなさいよ」と友達にいくら言われても、好きな人のことは、好きですからね。

ただ、その好きな人のことを考えたり、一緒にいるときに、心が単純に喜んでいるかどうかは重要ポイント。

わざわざ【単純に喜んでいる】と書いたのは、「あの難しい人と、一緒にいる私って、耐える女で、尽くす女だよね」と、心が耐える女や、尽くす女と思えることで、喜んでいるというか、欲求が満たされているのであれば、単純に喜んでいるわけではないですからね。

それは、相手のことが好きというよりは、耐えている女や、尽くす女である自分が好きな状態かもしれませんね。

私は、好きや嫌いという感情は、すごく単純なことだと思っています。

「どうして、それが好きなの?」
「どうして、それがやりたいの?」
と聞かれても、明確な理由が意外と出てこないというのが、好きというものだと思いますし、理由が出てきたとしても、後付けのことが多いかもしれません。

「どうして、それが嫌いなの?」
「どうして、それがやりたくないの?」
と聞かれて、色々と理由が出てくるかもしれませんが、これも後付けであることが多く、嫌いなものは嫌いだったりしますからね。

好きや嫌いというのは、感情ではありますが、単純な感情なだけに、感覚的でもあります。

感覚的なものって、体感することが大事なので、やりたいことを見つけたいのであれば、体感することが、やっぱり大事なんですよね。

時にはエゴも登場してくる

とにかくやってみる。
やってみた結果、「あれ?これ好きかも?」「あれ?これやりたいことかも?」と思うかもしれないし、「これ好き!!」となるかもしれない。

そこから、エゴと呼ばれる怖れが色々と出てくるんですけどね。

「そんなことやっても、誰も認めてくれないよ」
「そんなことやっても、意味がないよ」
「そんなことやるなんて、皆に笑われるぞ」

エゴは、色々と細かいことを言ってきますし、かなり説得力があるものなので、「そうだよね」と、説得されることもしばしばです。

でも、やりたいことや、好きなことを探したいのであれば、自分の心が喜んでいるのかどうかを基準にした方がいいですよね。

頭で考えたら、「え?それ?」と、自分でツッコミを入れるようなことであったとしても、心が喜ぶなら、それが正解なんでしょうね。

林住期と呼ばれることがある大人の年齢になったら、特に心が喜ぶかどうかを基準に考えた方がいいと思います。

社会的にやるべきことはやってきたはず。
そうなのだとしたら、自分の心が喜ぶことに焦点をあててみると、やるべきことをただ淡々とやるだけの生活から、結構楽しい生活にシフトしていくことができますからね。

やりたいことだけやって、好き勝手に生きていきましょうなんてことを言いたいのではなくって、やるべきことだけだと、どんどんくたびれてしまうので、好きなことや、やりたいことをやって、心を元気に楽しませてあげましょうということが言いたいんですけどね。

とりあえずは、まずやってみる。
やってみて、感じてみる。
それから、そのことを続けていくのかどうか考えてみる。
という順番でいいのでは?と思っています。

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