人は何かを隠すとき、真逆のことを使ってカモフラージュしようとする。
しかもっ!!
隠そうとすることは、「良くないよね」と思っていること。(自分がそう思っている)
「私、太っている!」→「太っているのは良くない」→「ガリガリに痩せなきゃ!」
「私、色気がない!」→「色気がないのは良くない」→「フェロモンまき散らさねばっ!」
「私、片付けられない!」→「片付けられないのは良くない」→「目指すはモデルハウス!」
太っているとか、色気がないとか、片付けられないという要素が、良くないと思えば思うほど、そのことを隠すためには、逆の要素を強くしなくてはいけないとなってしまう。
楽しく苦痛じゃないのであればそれでいいけれど、そうじゃないなら・・・
ダイエットが楽しく、そして健康に害がないのであれば別によし。
フェロモン出しまくりがお好みならそれでよし。
モデルハウスのような部屋が好きで、片づけが苦痛でないならそれでよし。
ですが、そうではないけれど、「こりゃ隠さなきゃ!」でやり始めると、とってもしんどいです。
人は何でもかんでも投影しちゃっている生き物なので、太っていることが良くないと思うのも、色気がないのは良くないと思うのも、片付けられないのは良くないと思うのも、「自分なら、そのような人のことは良くないと嫌う。だから他の人もきっとそうだろう」と投影しているのです。
ちなみに、「そのような人のことは良くないと嫌う」というのは、自分自身のことです。
自分で自分のことを嫌っている度合いだけ、人もまた嫌うだろうと投影した結果、思っちゃうわけです。
だから、自己肯定感大事というお話しが、出てくるんですけどね。
で、そんな投影しているなんてことに、キッパリサッパリ気づかないでいると、恋愛がうまくいかないということが、太っていることが原因だと断定しちゃったり、色気がないことが原因だと断定しちゃったり、片付け下手なことが原因だと断定しちゃったりしてしまいます。
「もしかしたらそれも原因の一つかもしれないけれど、他の原因もあるかも?」とか、「たまたまだったのかも?」とか、「相性が良くなかっただけね」なんて思えない。
なので、断定しちゃった原因を隠して、何とかしようと必死になる。
でも、もしその断定しちゃった原因が見当はずれだったとしたら?
根本的な原因は本当にソレなのか?
Yの字に別れている分かれ道で、本来は右が正解なのにもかかわらず、左の道を選んで「そうに違いない!」と、ズンズン進んでいったとしたら、正解からはどんどん遠ざかっていっちゃいますよね?
やってもやっても、改善しないとか、やってもやっても、うまくいかないときって、このような状態になっていることが多いのです。
長年カウンセラーをさせていただいておりますが、太っていること、色気がないこと、片付けられないことが、恋愛がうまくいかない根本的な原因であったことは、ありません。
そうではなくって、「こんな私は良くない」と本人が思っていることや、それを外の世界に投影して「良くないから隠そう」としていることや、「これが原因に違いない!」と断定してしまっていることが、うまくいかない根本的な原因であることがとても多いです。
太っていても、色気がなくっても、片付けられなくっても、彼がいて幸せな人はたくさんいますからね。
そうは言っても、「これが原因に違いない!」と思い込んでしまっていると、「これが原因でうまくいかない」という情報ばかりキャッチしてしまうので、「これでうまくいっていますよという情報をスルーしてしまうものなんですけどね。
人間は、ロックオンしたものの情報を収集するようにできていますからね。
だから、「あの人、浮気しているに違いない!」とロックオンしてしまうと、何を見ても、何を聞いても浮気しているような情報ばかりに目が向いてしまう。
「そういえば、先週連絡してくるって言って、連絡してこなかった日があったな」
「最近おしゃれになったのは、きっと浮気しているからだな」
そうかもしれないけれど、そうじゃないかもしれないという冷静な目を持つことができなくなってしまうんですよね。
おっと、話しがそれてしまいました。
太っている、色気がない、片付けられないことだけの話ではないですし、恋愛のことだけでもないです。
自分でこれは良くないと思って、自分の要素を嫌っている分だけ、人から嫌われる怖れが強くなりますし、隠そうと頑張り過ぎて疲れてしまうこともあります。
疲れすぎるので、人と関わることが嫌になってしまう人もいる。
やってもやっても、問題が改善しないので、燃え尽きてしまったりなんかもする。
ということで、もし今疲れ果ててしまっているのなら、「そもそも」から見直してみるといいかもしれませんよ。