「自分らしさを大切に」って言葉、ちょっと聞き飽きてませんか?
「あなたはどうしたい?」
「もっと自分らしく生きていいんだよ」
「やりたいことをやっていこう」
——そんな言葉を見聞きするたびに、首は縦に振ってる。けど、心のどこかではモヤッとしている。
「そうだよね、自分らしく生きたいよね」と思いながらも、じゃあそれって何?と聞かれると、途端に言葉につまる。
自己理解の本を読んで、性格診断を試して、“好きなことリスト”を作ってみたり、SNSで「私らしく生きる」って言ってる人をちょっと見に行ったりして。
……気がつけば、“自分らしさ”を探す旅に出て、早〇年。
でも最近は、その旅にちょっと疲れてきた気もする。ガイドブック(=自己啓発本)はたくさんあるのに、目的地(=本当の自分)は一向に見えてこない。
しかも、道を聞いた相手(=YouTubeやインスタの誰か)が、めっちゃキラキラした“自分らしさ”を発信してて、「なんか余計わからなくなってきたんだけど…」ってなってたり。
そんな“自分探しの旅”に、どこか心当たりがあるあなたに向けて、今回はちょっと立ち止まって考えてみる話です。
心理学的な視点もちょいちょい入れつつ、「自分らしさって、“考えること”じゃなくて“感じること”なんじゃないか?」そんなヒントをお届けします。
“自分らしく生きたい”が、しんどくなる理由
「自分らしく生きたい」って、すごく前向きで素敵な言葉に聞こえますよね。自分の本音を大事にして、納得できる選択をして、無理せず自然体で。
それって、理想的な生き方のはずなのに——気づけば「自分らしくしなきゃ」になってる。しかも、謎に“今すぐ”に。
- 「これが私です!」って言える何かがないと、未完成な気がしてくる
- やりたいことがハッキリしてないと、「えっ、自分まだ見つかってないの?」みたいな気分になる
- 何かを選ぶたびに、「これって私らしい?」と脳内会議が開かれる(しかも無期限)
“自分らしく”って、本来もっと自由で柔らかいはずなのに、気がついたら“ちゃんとした自分らしさ”という正解探しになっている。
その結果、こうなります:
- 「これって私らしいのかな?」と考えすぎて、買い物に1時間かかる
- 「これが自分らしいと言っていいのか…」とSNSの投稿ボタンを3日眺める
- 「この程度で“好きなこと”って名乗っていいの?」と1人審査会を開く
いやもう、“自分らしさ”にめちゃくちゃ気を使ってるやん。
そして、さらに面倒なのが、他人の“らしさ”がいちいちキラキラして見えてくる現象。
- あの人は好きなことがあっていいなあ
- あの人は自然体で仕事してて素敵だなあ
- あの人は「私これが好き!」って、照れずに言えててすごいなあ
気がつけば、人のらしさに目がくらみ、自分の輪郭がぼやけてくる。
その結果、動けなくなるんです。
- 「これって私らしいのかな?」と考えすぎて、選べない
- 「ほんとにこれでいいのかな?」と疑って、進めない
- 「この程度じゃ、自分らしいって言えない」と決めつけて、始められない
“自分らしさ”にこだわりすぎて、だんだん“自分らしく”いられないって、どういう矛盾。
そんな状態が続くと、自分らしさを探してたはずなのに、いつのまにか「自分迷子」になっていたりします。
“自分らしさ”とは、感情の輪郭がわかること
ここまでの話をまとめると——
- 「自分らしさ」がわからなくなるのは、感じる力が弱っているから
- その背景には、過去の経験や、期待に応えるための“適応”がある
- だから「自分に芯がないからだ」と責める必要なんてまったくない
じゃあ、「自分らしさ」って結局、なんなのか?
私はこう思うようになりました。
“自分らしさ”って、外側から定義される「肩書き」や「属性」ではなく、自分の内側で何が動いているかを、ちゃんと感じ取れること。
たとえば——
- 何をしたときにワクワクしたか
- どんなときにイラッとしたのか
- 何が好きで、何が嫌いか
- どんな言葉がうれしくて、どんな態度が悲しかったのか
その“心の反応”こそが、あなたという人の“らしさ”の輪郭なんです。
つまり、「自分らしさ」とは、感情の輪郭を知っていること。
でも実際はどうかというと、私たちはこの“感じる力”を長い間、後回しにしてきました。
- 子どもの頃、「そんなことで泣かないの」と言われた
- 悲しくても笑っていた方が、周りが安心してくれた
- 嬉しい気持ちをちゃんと受け取る前に、「もっと頑張らなきゃ」と思ってしまった
そうやって、感情を一回スルーするクセが、少しずつ積み重なっていく。
すると、心が動いているのに、それに気づけなくなる。
動いてる“はず”なのに、“感じられない”。
そうやって、自分が何者なのか、だんだんぼやけていくんです。
でもそれは、「感情がない」んじゃない。
ただ、感情の声が小さくなってしまっただけ。
たとえば——
- コンビニの新作アイスを食べたときに、思わず「うまっ」って声が出たとき
- LINEで“了解!”だけ返ってきたときに、なぜかちょっとイラッとしたとき
- 休日の午後に無言でソファに沈んでる時間が、誰にも邪魔されたくないほど好きなとき
- 「何でもいいよ」が口癖の人に、「じゃあ決めて」って言われて、え?ってなったとき
こんなふうに、ちょっとしたうれしさ・怒り・モヤモヤ・ときめきが湧いたとき。
その“反応”こそが、自分という人の色や形を教えてくれる感情の輪郭なんです。
自分らしさって、「何かを証明するもの」じゃなくて、
「今、私はこう感じてる」って気づけること。
それがわかってくると、
はじめて「自分らしさって、これかもしれない」って思えてくるんです。
📌ちなみに、こうした“感情の反応”を感じづらくなる理由については、
こちらの記事でも掘り下げています:
👉 感じるって、生きるのに必要?〜“女性性”がうまく出せない理由と、その癒し方〜
“感じる私”を取り戻すために、日常でできること
ここまで読んで、「たしかに、自分の感情がよくわかってないかも」と思ったあなた。
でもたぶん、次に浮かぶのはこういう疑問じゃないでしょうか。
「で? どうすれば“感じられるように”なるんですか?」
正直、これがまた厄介で。
“感じる”って、「よし、今から感じます!」って
スイッチを押してもオンにならないんですよね。(そもそもスイッチってあるのか?)
感情って、基本的にゆるんでるときにじわっと出てくるもの。
「感じろ!」って気合い入れた瞬間に、逆に引っ込んじゃう。
それはまるで、猫に「こっち来て!」と呼んだ瞬間に、ぷいっと背中を向けられるようなもの。
感じようとしたときには消えてる。
でも、こちらがふっと気を抜いたときに、ひょっこり足元にいる。
感情って、それくらい気まぐれで、ちょっと繊細な存在なんです。
じゃあ、どうすればいいか。
ここでは、「感じる私」と仲良くなるために、
日常でできるゆるくて、ちょっと楽しいヒントをご紹介します。
ヒント①:「考える」をちょっと休んで、五感を自由にしてみる
まじめな人ほど、感情を“考えて理解しよう”としがちです。
でも、感じるって、論理でも理屈でもありません。
「これは正しい感情か?」「共感されるか?」「理由はあるのか?」
——そんな検閲が入ってくると、感情の声はどんどん小さくなります。
私自身、かつて“感じる”という感覚がよくわからなくなったとき、
家中のありとあらゆるものを触って回ったことがあります。
クッション、毛布、タオル、スプーン、紙袋、鍋のフタまで。
「どれが落ち着く?」「どれが気持ちいい?」と、
自分の身体の反応にだけ集中して、ひたすら“好き”を探しました。
同じように、
家中のあらゆるものの匂いを嗅いで回ったこともあります。
ハンドクリーム、香水、乾いた洗濯物、冷蔵庫の中、
ついには空気清浄機の吹き出し口まで(笑)
どれもほんの数秒のこと。
でもその“微細な違い”に耳をすませているうちに、
なんとなく「私はこれが好きなんだなぁ」と感じられるようになったんです。
それは「これが私の自分らしさだ!」とわかるような大きな何かではなく、
静かで、でも確かな“私の反応”。
感情って、思考よりも感覚の方が先に教えてくれることがある。
だからまずは、考えるのをちょっと休んで、五感を自由にしてみる。
それが“感じる私”と再会する最初の一歩かもしれません。
ヒント②:「好き・嫌い」で選ぶ練習をする
普段、何かを選ぶとき、こんなふうに考えていませんか?
「どっちが正解?」
「周りからどう見える?」
「これって損じゃない?」
でも、ときには“好み”を軸に選ぶ練習も大切です。
たとえば:
- カフェで「今、甘いもの食べたいかどうか」で選んでみる
- 帰り道を「なんとなく、今日はこっちの方が歩きたい」で決めてみる
- 洋服を「色が好き」で選んでみる
「理由はないけど、なんかこっちがいい気がする」
それを信じてみることが、
自分の“好き”を取り戻す練習になります。
ヒント③:「今の気持ち」にちいさく名前をつけてみる
ふとした瞬間の気持ちに、ちいさくラベルを貼ってみるのもおすすめです。
- 「ちょっとイラっとしたかも」
- 「なんか寂しいな」
- 「お、これ好きだな」
それ以上掘り下げなくてもOK。
ただ「いま、私の中にこういう感情があるんだな」と認識するだけでいいんです。
それだけで、自分の輪郭が少しずつ浮かび上がってきます。
いきなり劇的な変化はなくても、
こういう“ちいさな気づき”の積み重ねが、
「これが私かもしれない」という感覚を育ててくれます。
“自分らしさ”は、今この瞬間の感情とともにある
「自分らしく生きたい」っていう言葉。
最初は自由になりたくて、軽やかに生きたくて、
“本当の私”を取り戻したいと思って、口にしていたはずなのに。
いつの間にかそれがプレッシャーになって、
「ちゃんと見つけなきゃ」「もっと明確にしなきゃ」って、
自分を追い立てる言葉に変わっていた——。
でも、もう大丈夫です。
“自分らしさ”って、何かにならなきゃ得られないものじゃない。
- 「今、私はこう感じてる」
- 「これは好き」「これはちょっと違う」
- 「疲れてる」「ちょっと距離をとりたい」
そのひとつひとつの感情に気づけていることが、
すでにあなたの“らしさ”なんです。
自分らしさって、外にある正解じゃなくて、
内側に湧いてくる声に「うん、そうだね」ってうなずけること。
だから、もし今も迷っていたとしても、
「わからないなぁ」と思っていたとしても、それでいいんです。
それは、あなたがちゃんと感じようとしている証拠。
完璧じゃなくても、自信がなくても、
「これが私だ」と言い切れなくてもいい。
日々のなかで、
「なんか今日はこれが心地いいな」
「この気持ちは、大切にしてあげたいな」
そんなふうに、小さな“私”をすくい上げていくことが、
自分らしくあるってことなんじゃないかと思うのです。
自分らしさは、取り戻すものじゃなく、気づいてあげるもの。
探しに行くものじゃなくて、今ここにある感覚との、再会。
だから今日、この記事を読んで、
あなたがほんの少しでも「そうかもな」と思えたなら、
その瞬間こそが、自分らしさとの出会い直しのはじまりです。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
拗らせちゃったって、大丈夫。
むしろそれだけ、自分に真剣だった証。
“わからない自分”を、今日は責めずに横に置いた。
それだけでも、ちゃんと前に進んでいます。