やり直したい気持ちはある。
別れたいわけじゃない。
ずっとこの話をしていたいわけでもない。
本当は、前に進みたい。
それなのに、ふとした瞬間にまた苦しくなる。
何気ない一言に引っかかる。
帰りが少し遅いだけで落ち着かない。
スマホの通知に反応してしまう。
前よりやさしくされると、それはそれで苦しくなる。
「もう終わったことにしたい」
そう思っているのに、心がそうなってくれない。
そんなことはないでしょうか。
これは、やり直すと決めたことと、傷が癒えていることは、同じではないからです。
やり直したい気持ちと、まだ苦しい気持ちは両方あっていい
浮気がわかったあと、すぐに別れを選ぶ人もいれば、やり直したいと思う人もいます。
好きな気持ちが残っている。
生活を簡単に壊したくない。
相手にも反省が見える。
もう一度信じたい気持ちもある。
そうやって再構築を選ぶことは、決しておかしなことではありません。
でも、やり直すと決めたからといって、心がすぐについてくるわけではありません。
頭では「前に進もう」と思っている。
でも心は、まだあのときの傷の中にいる。
だから、ふとしたことで苦しくなるんですね。
ここでよくあるのが、
「やり直すって決めたんだから、もう蒸し返さないほうがいい」
と自分に言い聞かせてしまうことです。
でも、気持ちはそんなにきれいに整理できません。
前に進みたい気持ちと、まだ痛い気持ちは、しばらく一緒にあって当然なのだと思います。
許しは大事。でも、そんなに簡単ではない
「許しは人のためならず」
という言葉は、本当にその通りだと思います。
許していない状態というのは、相手を罰し続けているだけではありません。
自分自身も、怒りや憎しみや嫉妬や悔しさに強く引っぱられている状態です。
相手の顔を見るたびに怒りが出る。
思い出すたびに苦しくなる。
比べてしまう。
またやるんじゃないかと疑ってしまう。
そのたびに、自分の心が苦しくなる。
だから、許しが必要になるんですよね。
それは相手のためではなく、
自分がその苦しさから少しずつ自由になるため
なのです。
でも、ここが大事なのですが、
だからといって、許しは簡単ではありません。
頭では、許したほうが自分のためだとわかっている。
怒りや憎しみを持ち続けるのが苦しいこともわかっている。
でも、わかっているからすぐ許せるわけではない。
むしろ、傷が深い出来事ほど、そんなに早くは許せない。
「許さなきゃ」
と思うほど、かえって苦しくなることもあります。
日常が戻り始めると、なかったことにしたくない気持ちが出てくる
これも、再構築の中ではすごく起きやすいことだと思います。
最初はショックが大きすぎて、とにかく必死です。
怒りもある。
悲しみもある。
問いただしたい気持ちもある。
毎日がただしんどい。
でも少し時間がたつと、表面上は日常が戻り始めます。
普通に会話する。
一緒にごはんを食べる。
前よりやさしくされる。
笑う時間も少し出てくる。
本来なら、それはいい変化のはずです。
でもそのころに、逆に苦しくなることがある。
なぜなら心のどこかで、
このままなかったことみたいにしたくない
という気持ちが出てくるからです。
あれだけ傷ついた。
あれだけ泣いた。
あれだけ苦しかった。
それなのに、日常に戻っていく流れの中で、自分の痛みだけが置いていかれる感じがする。
相手は前を向こうとしている。
関係も元に戻そうとしている。
でも、自分の中ではまだ終わっていない。
そのズレが、また苦しさになるんですね。
相手がやさしくなるほど、かえって苦しくなることもある
前よりやさしくされる。
気をつかわれる。
機嫌を取るような態度が増える。
丁寧になる。
気にかけてくれる。
本来なら、それはうれしいことのはず。
でも、そのやさしさが素直に受け取れない。
なぜなら、心の中で
「私が傷ついているから、今そうしているんでしょ」
と思ってしまうからです。
本心からのやさしさというより、
今の自分の怒りや傷に対する対応に見えてしまう。
そうなると、うれしいより先に、苦しさや虚しさが出ることがあります。
しかも、やさしくされるほど
「じゃあ、あのときは何だったの」
という気持ちが強くなることもある。
だから、相手が反省していても、前よりやさしくなっていても、それだけで心が落ち着くとは限らないんですね。
苦しいのは、まだ許せていないからではなく、傷がまだ癒えていないから
また苦しくなると、
「私はまだ許していないんだ」
「やっぱり前に進めていないんだ」
と自分を責めてしまいやすい。
でも、そうとも限りません。
たとえば、怪我をしたあと、傷がふさがって見えても、まだ触ると痛いことがありますよね。
それと少し似ています。
表面上は前に進んでいる。
日常も戻っている。
でも、傷そのものがまだ癒えたわけじゃない。
だから、似た場面や空気に触れるとまた痛む。
それは、傷がまだ傷として残っているからです。
許せた状態とは、“出来事が消えること”ではない
許すというと、
何もなかったことにすること、
忘れること、
怒らなくなること、
のように思われやすいです。
でも、本当はそうではないのだと思います。
出来事そのものは変えられない。
起きなかったことにもできない。
でも、その出来事につけていた意味が変わっていくことはある。
たとえば最初は、
裏切られた。
人生を壊された。
信じた自分がバカだった。
もう終わりだ。
そういう意味しか持てなかった出来事が、
時間をかけて、
あの出来事があったから、自分の傷に気づけた。
相手との向き合い方を変えることができた。
自分の本音を知ることができた。
結果として、以前より深く話せるようになった。
前より仲良くなれた。
そんなふうに変わっていくことがある。
そうなったとき、たぶん人は「許せた」と感じるのだと思います。
つまり、許しとは、出来事を消すことではなく、
その出来事に縛られ続けなくなること
なのかもしれません。
だから、焦らなくていい
許しが大事なのは本当です。
でも、早く許さなきゃいけないわけではありません。
苦しいのに無理に前向きになろうとする。
怒りがあるのに「もう許したことにしよう」と急ぐ。
それをやると、かえって心の奥に痛みが残りやすいこともあります。
必要なのは、
まだ苦しい自分を否定しないこと。
やり直したい気持ちと、まだ傷ついている気持ちが両方あることを認めること。
そして、少しずつこの出来事の意味が変わっていく余地を持つこと。
その積み重ねの先に、
「もうあの出来事に心を支配されなくなってきた」
という状態が来るのだと思います。
最後に
浮気されたあと、やり直したいのにまた苦しくなる。
それは、前に進みたい気持ちが嘘だからではありません。
許したい気持ちが足りないからでもありません。
それだけ、傷が深かったということなのだと思います。
許しは大事です。
怒りや憎しみや嫉妬に自分が支配され続けないためにも、許しは必要です。
でも、それは頭で決めたらすぐにできるものではない。
出来事は変えられない。
でも、その出来事につけた意味は、少しずつ変わっていくことがある。
そのとき、苦しさの質も変わっていく。
そしてやがて、あの出来事にずっと心を縛られなくなる日が来るのかもしれません。
だから、やり直したいのにまた苦しくなる自分を、あまり責めなくていいのだと思います。



